私の小学校時代、特に5年生と6年生の担任教師である田中先生とは、どうにもそりが合いませんでした。それまでの担任とは問題なく過ごしていましたが、田中先生は私に対して厳しく、特に宿題や授業態度に関しては容赦がありませんでした。私自身、公文式などの学習塾に通っていたため、学校の授業はほぼ理解できており、3年生の頃から授業中は図書館で本を読むことが許されていました。
しかし、5年生になって田中先生が担任になると状況が一変しました。彼は宿題をきちんとやること、授業を真剣に聞くことを強要しました。これに対して私は、「義務教育なのでここに来てはいるが、授業を聞く義務も宿題をやる義務もない」
遠方の進学塾に通い始め、学校の授業に意味を見いだせなくなっていた私は、授業中に本を読むことにしました。しかし、毎回本を取り上げられ、図書館での貸出も禁止されました。家から持ってきた本も取り上げられ、捨てられるという理不尽な対応を受けました。それでも私は授業を聞かず、眠ることで抵抗しました。
進学塾では成績が良く、全国模試でも上位に入っていました。これにより、学校の授業にますます興味がなくなりました。しかし、田中先生の評価は冷たく、通知表は低評価ばかりでした。親が学校に抗議しても、「息子は社会性協調性が皆無で問題がありすぎる」と言われる始末でした。
田中先生はプライドが高く、私立卒の教員を馬鹿にする発言を繰り返していました。私が「3年や4年の担任は何も言わなかった」と言うと、「あんな3流大学出てる先生と一緒にするな」と返されました。私が「駅弁がそこまでいいますか」と言うと、「受かってからそういうことは言おうね」と笑われました。
中学受験の準備が進む中、田中先生の嫌がらせは続きました。
願書の判子を拒否されるなど、理不尽な対応を受けました。それでも私は努力を続け、名門私立中学のT中学に合格しました。田中先生は「受かったら窓から飛び降りたるわ」と言っていたので、合格の報告をしに行きました。
合格発表の日、私は見事にT中学に合格しました。登校すると、クラスメイトや先生たちから祝福の声が上がりました。しかし、田中先生は飛び降りる約束を守ろうとせず、「お金の力でしょ」と言い逃れをしました。私は「大人なら自分の言葉に責任とってよね」と詰め寄りましたが、先生は最後まで逃げ続けました。
田中先生の影響で、私はクラスメイトからも疎まれるようになりました。
この経験から学んだことは、教師の影響力の大きさと、どんなに理不尽な状況でも努力を続けることの重要性です。田中先生の厳しさと偏見は、私の学びの一部となり、今でも忘れられない教訓として心に残っています。
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